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延命治療で人工呼吸をつけるかなどの意向確認の際,医師から患者家族で決めてもらうよう言われることがあります.延命治療を具体的にイメ-ジできない家族にはどう説明すべきでしょうか?

延命治療とは.「病気を治す」治療ではなく.「生きている期間を延ばす」治療です.つまり.回復の見込みがなく.死をさけられない末期状態の患者さんに対して.延命させる治療を行なうことをいいます.延命治療という言葉は,人工呼吸器をつけることだけを意味するわけではありません.医療者として.患者さんのご家族に説明するときには.延命させる治療について.ひとつひとつ誤解のないよう.ていねいな説明が必要です.後になって「そんなつもりではなかった」と言われても取り返しがつきません.以下に説明の際の例を示します.




①呼吸に関する延命治療…肺の機能や呼吸をつがさどる筋肉の衰退などで呼吸が弱くなった場合.□や喉を切開して気管の中に管を入れ.人工呼吸器をつないで肺に空気を送り込む延命治療方法です.意識がある場合には.苦痛を除くため鎮静剤を用いて意識を低下させます.




②血液循環に関する延命治療…心臓機能の低下によって.血圧や心拍数が下がった場合に.強心剤や血液循環を維持する機械を血管から入れたカテーテルに接続して.血液循環を維持します.




③老廃物を排出させる延命治療…腎臓の機能の低下で.老廃物を対外に排出できなくなった場合に行なわれるのが血液透析です.血管に力テ一テルを挿入し.血液を体外に出し.濾過装置にかけて血液中の老廃物を除いた血液を血管内に戻します.




④栄養?水分補給に関する延命治療…[レジスタードトレードマーク]からの管か.または胃に小さな穴を開けてチューブを挿入し.直接液状の栄養剤を注入します.腸がらの吸収が困難な場合は.首などの血管から管を通して.血液中に直接栄養分を注入する場合もあります.

患者さんからの暴力,暴言,セクハラなどへの対応策はありますか?

患者さんによる暴力•暴言は新しいできごとではありません.応じてナースには.一定のトレランス(耐性)が獲得されてきました.それがなぜ.現代において大きな問題となっているのでしょうか.その理由のひとつに.これらの行為が「暴言•暴力として存在するようになった」ことがあります.精神障害など疾患に起因するものや.疼痛など苦しみがら派生するものなどは「医療の延長上」ととらえられ.「医学や看護学の知見」により対応されてきました.




—方.近年はこれによらない暴力•暴言が顕在化し.クレーマ一やモンスタ一•ペイシェン卜に代表される理不尽な要求をする患者さんが増えています.




くわえて注視が必要なこととして.医療のビジネス(サービス業)化.つまり"患者のお客様化"があります.「お客様は神様」「お客様はすべて正しい」という言葉があらわすように.たとえ理不尽な要求でも顧客の要望に応えるのがわが国のビジネスの習わしとされてきました.




病院とは治療の場で.本来はそれ以上でも以下でもない存在です-しかし, 患者さんからのニーズの高まりや医療機関の競争激化などにより.病院は"それ以上"のサービスを目指し.患者もこれを“当然”のこととして認識しはじめています.たとえば.暴力•暴言のきっかけのひとつに待ち時間の長さがあります.患者さんからすると.ビジネスならば待たせないことが"当然"であり.待たせたことに対しては激しいクレーム(暴言)を言って“当然”のこととなるのです.

彼を追いかけるには?

私の1歳年下の彼が今横浜に住んでいる。

高校時代から付き合っていて、5年近くたつ。
彼が大学卒業を機に横浜の企業に就職した。

その時彼についていこうと思っていたが、
私はすでに病院に看護師として勤務していたので、
やめるわけにもいかず、遠距離をしているのだが、やはり心配だ。

一緒にいる時から、彼はぐうたらで
1人であんまり料理・洗濯・掃除が出来なかったので、
私が世話焼きではないが、いろいろしていた。

スカイプでテレビ電話するのだが、
後ろがすごい汚れていたりするのをみると、心配になる。
どうして私はあそこにいないんだ(-_-;)

連れ戻すわけにいかないし、
しかも私も経験したが、今の時代なかなか仕事に就くことができない。


横浜に看護師のいい転職先ないかな?
そうすれば、一緒に横浜いれるし、頑張れそう。

みなさん、いい転職先知りませんか?

CSIIを取り巻く現状

CSII (Continuous Subcutaneous Insulin Infusion)は.米国ではDCCTの発表後急増し.12万人以上に施行さ

れているといわれており.また世界的には25万人を超えるとされています.インスリンを基礎注入と追扣注入に分

け.より生理的なインスリン分泌パターンにできるだけ近づけ.厳密な血糖コントロ一ルを行なろことができ.とくに

1型でインスリン依存状態の糖尿病患者さんにはもっとも合理的な治療手段といえます.にCSIIの適応と考え

られる例についてまとめました.施行にあたっては成書も参考としてください.



わが国でも.国産プレブ□グラマブルポンプや超速効型インスリンの登場による治療コンプライアンスの向上によ

り.CSIIの有用性はよリ高まっていると考えられます.しかし,欧米や韓国などと比べても.必ずしも普及していると

はいえず.また持効型溶解インスリンアナログの登場により.頻回注射療法(MIT2)にも新たなる展開がみられ

CSIIとの優劣の論議も散見されます.DCCTでは,強化インスリン療法群の124例がCSIIを実施し.HbA1cはMIT

より0.2〜0.4%ほど低値であったとされています.前述のよりに持効型溶解インスリンアナログの登場で.MITに

およる基礎インスリン補償の弱点が解消されつつある現在でも.インスリンリスプ□.インスリンアスパル卜とイン

スリングラルギンを使用した頻回注射療法との比較で.CSIIのほうが良好もしくは同等と報告されており.とくに血

糖コント□—ルが不良または血糖変動が大きな例では.CSIIの効果が大きく.低血糖の頻度が少ないなどが示さ

れています.




問題点としては.注入ポンプなどの機械の故障.患者さん自身の機械操作エラー.さらにわが国での普及の障壁

となっている間題に.機器が高価なこと.それに見合った診療報酬制度でないことなどがあります.




CSllが長期間にわたって良好な血糖コント□—ルを維持し得ることは多くの報告で明らかにされていますが.

今後のさらなる普及のためには.MITと比較した合併症などの長期予後やQOLの評価などの大規模な臨床試験

が重要と思われます.

ナイチンゲールの思想

ナイチンゲールの論文を見てみますと、その歳月の中で、ナイチンゲールが一貫して抱きつづけ、関心を寄せ続けた

対象というのは、単に病者という存在ではなく、〈兵士〉と〈貧民〉と〈インドの人々〉という、きわめて具体的存在であ

ったことがうかがえます。



そしてこの三者を取り巻く状況には共通した点がありました。つまり〈1つの国民〉という社会構造の中で、彼らはい

つも下層民として存在したのです。それ故に虐げられ、結局自ら人間の尊厳を失って堕

落し、不健康な生活を送っている人々の姿が浮かび上がってきます。さらにはこうした人々の周辺には、その生命を

いとも簡単に奪っていっていまう不衛生な環境と社会機構が横たわっていました。



ナイチンゲールはこうした社会悪の根絶をめざして闘おうとしたのです。ですから兵士や貧民の置かれた状況や、彼

らが暮らす救貧院やその病院など、ナイチンゲールは詳しく調査してその実態をつかんでいったのです。



彼らの存在は〈人間とは何か〉〈生命とは何か〉〈人間はどんな生き方をしなければならないか〉というテーマを、ナイ

チンゲールに突きつけたに違いありません。それは若い頃に農民小屋の実態を見て感じたとったテーマと同じ質の

ものでした。




一方、クリミア前のナイチンゲールの生き方に多大な影響を与えたのは、身近に暮らす上流階級の人々の暮らしぶ

りとその精神構造にありました。彼女は豊かな生活を送りながらも、そうした環境に激しい嫌悪感を抱いて育ったの

です。



一人の女性としての生き方を模索した時、ナイチンゲールは自分の周囲にそのモデルがないことを嘆きました。自

分の存在を社会とのつながりにおいて価値づけようと考えた彼女は、長い苦闘の末、結局、看護という仕事を選び

取るのですが、その看護という仕事の対象となる人々の群は、英国という土壌の中で、人間の健康とはおよそかけ

離れた暮らしを営んでいた人々だったのです。ここに人間ナイチンゲールが背負い込んだテーマの大きさを見ること

ができるように思います。

後高血糖への介入

食後高血糖是正薬であるα-グルコシダーゼ阻害薬(α-GI)のアカポ
一ス(グルコパイ)を用いた糖尿病発症予防試験に.ST0P-NIDDMがあり
ます.この試験では.耐糖能異常症例1429例を対象に,アカルボ一ス
100msを1日3回投与する群とプラセボを投与する群の比較を行なって
います.その結果.新規の糖尿病発症が抑制されていただけでなく. 2
次エンドポイントである心血管イベントの発症が49% (p=0.0326).ま
た心筋梗塞は91% (p=0.0226).新規高血圧の発症も34% (d=0.0059)と

いずれも有意に抑制されていました.STOP-NIDDMは.糖尿病発症前の耐
糖能異常を対象としていますが,2型糖尿病を発症した患者さんに対
するアカルポースの7つの臨床試験のメタ解析でも同様の心血管疾患
抑制効果が認められています.





また.α-GIと同様に.速効型インスリン分泌促進薬(ナテグリニド:
ファスティック.スタ一シスやミチグリニド:ヴルファスト8)にも食
後高血糖の是正作用がありますが,レパグリニド(日本未発売)とグ
リペンクラミドとの比較試験で.レパグリニド投与群が有意に頸動脈
内膜中膜複合体(IMT)を抑制したと報告されており.同様の動脈硬化
抑制作用があることが示唆されています.また.食後高血糖是正作用の
あるa-GIとグリニドは作用機序が異なるため.著しい食後高血糖をき
たす患者さんでは.併用により相如的に食後の血糖値が低下します.





2007年に国際糖尿病連合(IDF)が食後血糖管理ガイドラインを発表し
ました.このガイドラインでは.食後2時間血糖値を140mg/dL未満にす
ることが推奨されているとともに.空腹時血糖値とHbA1cの低下も同時
に行なうべきであることがうたわれています.IDFの食後血糖の管理基
準は.日本糖尿病学会が定める科学的根拠に基づくガイドラインで

「優」のコント□ールと同じレペルであり.かなり厳格な管理基準と
なっています.



1,心筋梗塞の発症リスクは,境界型の段階から上昇する.

2,ブドウ糖負荷後の高血糖を示す者は心筋梗塞の発症リスクが高

3,α-GIによって食後高血糖の治療を行なうことにより,心血管疾患の発症が抑制された.

4,糖尿病患者では,HbA1cの低下療法と食後高血糖の管理を同時に行なうことが重要である.

リモートコントロールでマィンドコントロール

また、〈居所がわからなくても、常時声だけは聞ける〉状態が生まれ

たことで、不可解な人間関係が成立するようにもなりました。



家には寄りつかなくても、携帯電話で親とは常時連絡がとれる〈プチ

家出〉などはその最たる例です。また、拉致され、暴行を受けながら

も、携帯電話では親と連絡がついた、栃木での少年リンチ殺人事件も

その一例のようにみえます。



電話が電話線から離れて、その場所にあるものでなくなった時点で、

〈電話で連絡がつく〉ことは、身の安全や、身元を保証する事実では

なくなっています。しかし、いまだに電話で連絡がつくから家出では

ない、犯罪ではないという妙な安心感だけは残っていて、それが盲点

になっている気がしてなりません。



もちろん、両親からの再三の捜査要請に腰を上げなかった栃木県警の

対応はお粗末ですが、〈携帯電話で連絡がとれている〉という事実が

警察に事件性の薄さを印象づけていたとしたら?

それもまた、非常に根が深い問題だと思うのです。



私が精神科病楝に移ってからも、こういうケースを目にしました。あ

る女性患者さんが、一緒に暮らしていた男性が蒸発したのを機に不眠

となり、入院してきたのですが、その同居人だった人とは携帯電話で

しか連絡がつかないというんですね。



そして蒸発しているくせに、その男性は毎日女性に電話をしてきて、

暮らしの細かいことを指示するのだそうです。その多くは禁止命令事

項で、

「自分以外の男性とはロも聞いてはいけない」

「家事はきちんと、いつでも自分が帰れるようにしておけ」

などなど。



聞いているこっちはなぜそんな理不尽な関係に彼女が耐えているのか

わかりませんでしたが、彼女はさながら携帯電話で操られる人形のよ

うでした。



一緒に暮らしているあいだも、職場もわからず、連絡はただただ携帯

電話。彼のことを話そうとして、あまりに自分がその彼について知ら

ないことに、彼女自身愕然としていたほどです。



けっきよく彼女は、数日病院にいて、彼との別れを決意して退院して

いきました。入院して、ようやく彼のリモ^コントロールが及ばなく

なり、マィンドコントロールが解けたのでしようか。



彼女と話していてしみじみわかったのは、携帯電話でしか連絡がつか

ない人は、自分にとっては住所不定.身元不明の人と変わらない、と

いうことです。そのことを私たちはきちんと認識していかないと、と

んでもない人との距離を縮めたり、思わぬ犯罪に巻き込まれたり、見

過ごしてしまったりするのではないでしようか。

あらためて「看護覚え書」を語る

ナイチンゲール研究の土台になる著作の筆頭は、何といつても「看護
覚え書」です。



「看護覚え書」は、ナイチンゲール印刷文献の百五十分の一にすぎま

せんが、ナイチンゲールが当時の社会にあつて、いつたい看護という

仕事と看護婦たちに、また女性たちに何をどのように期待したのかと

いうことを知る上では、絶対に素通りできない文献なのです。まして

この著作には、〈ナイチンゲール看護思想〉の基盤となるべき部分が

隠されています。したがつて、ナイチンゲールを看護婦の眼で正しく

理解するためには、まずは「看護覚え書」という著作を丸ごとつかみ

その思想体系をマスターすることから始めなければなりません。



『看護覚え書』に関しては、これまで本文中に繰り返し引用し、また

説明もしてきていますが、ここではあらためて「看護覚え書」が当時

の社会に及ぼした影響や、そこに秘められた思想性などについて考察

してみたいと思います。



「看護覚え書」という著作は、ナイチンゲールの他の著作群と完全に

独立した形で生み出されたものではありませんでした。むしろ、いく

つかの著作と同時平行的に出版されています。例えば「英国陸軍の保

健」 (1858年)、「病院覚え書第一版」 (一八五八年)、「思索へ

の示唆」 (1860年)など、ナイチンゲール著作群の中でも大作に相当

るものは、軒並みこの時期に出されているのです。したがつて、「看

護覚え書」を理解しようと思えば、当然こうした他の著作の内容と照

らし合わせながら、そこに描かれた思想の真髄を汲み取らねばなりま

せん。そこでまず「看護覚え書」を他の著作群と同列に位置づけ、そ

うしたときに見えてくる特徴について論じてみたいと思います。



ナイチンゲールがクリミアの地に赴いたのが一八五四年。ニ年後の五

六年には帰還するのですが、その後、彼女は何かに憑かれたように活

動を開始します。おびただしい分量の文献を残す一方で、自らの生命

の危険をも省みず、積極的に陸軍の衛生改革や行政面への働きかけを

行なったことは第三講第11章で述べたとおりです。私はこの時期の約

十年を、ナイチンゲール研究にとって特別の十年と考えています。す

なわちクリミアから帰還後の一八五〇年代の末から一八六〇年代末ま

での十年間です。



ナイチンゲール文献百五十編のうち、なんとこの十年の間に書かれた

論文の数は、全体のおよそ三分の一に当たる四十八編もあります。し

かもこれら四十八編の中には大作が多く、ナイチンゲール論文全体の

骨子は、ほぼこの十年に形成されたと見てよいように思われます。

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